2007年4月1日

音楽と人生と青春中編

投稿者: yuuking

ギブソンのレスポール・スタンダードを手にして無敵になった気でいました。
月数本のライブをガンガンこなし、バンドはどんどんパワーアップしていきました。
でも結局肝心なところではいつも結果が出せませんでした。
初のレコーディングはインディーズのデモ音源作りにもかかわらず布袋さんがプライベートでも愛用していたIRC2スタジオを使わせてもらったけど、そこで俺はいい歌が唄えませんでした。

 

そして、事務所の担当ディレクターが解雇されました。
その人が担当していたもう一つのバンドがリリースしたCDのセールス不振、そして俺らの音源の出来不足。
担当ディレクターが解雇され、社長から言われたのは「君達の音楽を理解しサポートできる人間がウチには誰もいなくなった。」
事実上、それは俺らにとっても解雇通告でした。
最低な気分。
その後もまた数社とアポイントをとり、毎回ライブには事務所、レーベルの関係者がきてくれました。
でも結局その後につなげるだけの結果を残せませんでした。
富士系列の会社とはレコーディング、そしてプレゼンライブにまで至るもそれ以上は発展せず、そういう状況を幾度も繰り返しました。
全国発売のオムニバスアルバムに参加したり、ラジオ、テレビにも出演したり、アルバムとミニアルバムをリリースしたり。
だけど全ては自己満足の域を超えられませんでした。

 

音楽以外の事は考えられず、遠距離恋愛中に何度も福岡から東京まできてくれた彼女にも最低の態度をとり続け、そして同然のように恋は終わりました。

 

堕ちて、でもあきらめきれなくて、そんでまた立ち上がって。
それの繰り返し。

 

数年が簡単に過ぎました。

 

この単調な日々の繰り返しに嫌気がさしてきました。
その間に出会った大切な人をどんだけ傷つけたのかわかりません。
現実逃避のために今さら考えたくもないけど、音楽中心で生きてた俺は近くにいる人に対しては全てにおいて最低でした。

 

1人で福岡に戻る事にしました。
バンドの現状がかわらなければ、ずっと東京にいる理由もなくライブの時だけ東京にこようって思ったからです。
そんで、遠距離恋愛をしてた元カノとは、実家が近かったこともありまた以前のように会うようになっりました。
友達以上、恋人未満として。
向こうは分かっていたと思います。
俺とはうまくいかないことと、そして俺が以前のように輝いてない事を。

 

毎月一回は東京にライブしに行きました。
そしてその福岡で、弟をメンバーに加え、弟と2人で何度も東京福岡間の往復を繰り返しました。
懲りずにデモ音源をいろんなところにばら撒き続けていた結果、テレビ出演のオファーがきました。
しかしドラムのJと撮影の日程があいませんでした。
本職がバレエダンサーで、多忙なJと今後活動をしていくのは厳しいと判断し、新メンバーにTAIYOHを加えました。

 

確かな手ごたえと、未来に対する希望を感じ、弟と2人で再び東京での生活を始める決意をしました。
数度にわたるテレビ出演の効果は絶大で、原宿のストリートでは度々歩いてる人から声をかけられるようになりました。
ストリートライブを繰り返し、たくさんの人に俺たちを知ってもらい、たくさんの人たちに俺たちの音楽を聴いてもらいました。
そして知らない間に送っていた音源が、知らないうちにネット上で流れ、エイベックスのオーディションの最終選考に残ってた。
そしてそのオーディションの最終選考は俺らが活動を拠点としていた渋谷で行われました。
たくさんの人たちの応援を受けて見事最優秀賞を獲得!
全てはここに繋がっていたんだ。
今このメンバー4人、そして応援してくれているみんなでこの喜びを分かち合う為に、俺は挫折を繰り返しながらも音楽を続けられたんだって思えました。

 

元カノにメールしました。
ホントはこの喜びと、感謝の気持ちを素直に伝えたかった。
でも俺はなぜか、「ファンのみんなのおかげ」としか言えませんでした。
ずっとずっと支えてくれてたはずの人への感謝の気持ちを伝えられませんでした。
俺は何か、勘違いしてた。
その最優秀賞をきっかけに、俺らは念願のデビュー。

 

といってもCD単体の契約だったから契約社員みたいなものかな?だけど確実にプロへの第一歩を踏み出しました。
それと同時期ぐらいに、バイトと思って受けにいった自動車教習所で働き始めた。
それが結果良かったのか悪かったのかは、今の俺じゃわからないし、その答えがいつになったらわかるのかすらももちろんまだわかりません。

 

CD発売日、福岡のドラムロゴスへ凱旋しました。
とは言ってもドラムロゴスでのライブなんて始めてでした。
東京からもたくさんのファンが来てくれて、そしてそのライブでたくさんの人たちの前で、報告しました。
「エイベックスからCDをリリースできました。あきらめなかったら夢はかなう。だって俺らみたいな奴らがここまできたんだから。そしてこれはまだまだスタート地点にすぎない。」

 

ライブが終わり、前日発売のCDを先行発売。
用意していた200枚のCDは完売。
そしてそこには、あの子がきてくれてました。
全然知りませんでした。
俺の最低のメール以来連絡をとることもなかったからです。
一言二言の会話をしました。
そしてそれはそいつとの本当に最後の会話になりました。
その数ヵ月後、風の噂でそいつが結婚した事を知りました。
最後の最後に、以前のように輝いてる俺を見せることができて、ホントよかったです。

 

ロゴスでのライブを最高潮の気分で終え、夜中の高速道路を最高の気分で東京へと走ってました。
これから本格的に俺らの音楽活動が始まる事にワクワクしてました。

 

そして東京まであと100キロの場所で、悪夢。
高速道路で、俺らが乗っていたハイエースはガードレールに激突。
運転手の居眠りでした。

 

後編へ続く